今日は朝から大変うれしいニュースが飛び込んできたので、
2回目の投稿です。
萩野選手、
男子400m個人メドレー、金メダルおめでとうございます!
→NHKニュースはコチラ
今回のオリンピック
日本人の金メダル第1号が競泳。
それも、この種目でのメダルは、個人的に大変うれしく思っています。
というのも…
短い間でしたが
小学校4年生(確か)から中2まで
実家そばのスイミングスクールで、
一時期、水泳の選手を目指し、練習していた事があります。
選手権で出場していた種目が
主に
個人メドレー
バタフライ
でした。
この種目の選手に、なぜ私を選んだのか?
ちゃんと確認をしたことが無かったけど、
当時の私は、コーチを恨みましたよ。
おそらく、
私には瞬発力がなかったし、
ものすごく得意な種目もなかったから、だと思われます。
練習の時、毎回ほぼ全種目練習。
それも、私はどちらかというと“長距離”でチカラを発揮する方だったので、
泳ぐ距離も、他の子よりやや長くなる。
個別に練習していたバタフライも、めちゃくちゃ体力使うので疲れる…(泣)。
萩野君、厳しい練習をよく乗り越えたなあ、と感無量です。
そして、
私の自己ベストを更新する当時のコーチの戦略としては
ずば抜けて不得意な平泳ぎと
あまり得意でなかったクロールを、何度も練習。
長所を伸ばすというよりも、
“欠点を克服する方”に重点が置かれていました。
コーチとの対話も特になく、
言われたメニューをただひたすらこなすのみ。
真面目にやらないと、竹刀が頭に振り下ろされるという
“スポ根世代”でした。
当時一緒に練習していたメンバー(15名ぐらい、いたかな?)
クロール(短距離&長距離)が圧倒的に多く
平泳ぎ(全国でもトップクラスの人が1人)
背泳ぎ2人
バタフライ2人
個人メドレー2人ぐらい?
個人メドレーは私1人だったかも?
で、
日々、時計とにらめっこ。
練習は“自分との孤独な戦い”でした。
チームメイトと仲は良かったけど
自分の専門の種目を超えて、
お互いにアドバイスをしあったりする“気持ちの余裕”はなかったなあ。
そして、
今のように、
同じスイミングスクールにも、
オリンピックに出場するような選手の中にも、
「あんな選手になりたい!」と、心から思える“憧れのスター選手”が私はいなかったです。
じゃあ、
「自分がスター選手になってやる!」という気持ちも芽生えなかった。
「足りないのは、技術ではなく闘志!」と、コーチに言われていたかもなあ…。
練習を続けているうちに、
だんだん
「まあ、“自己ベスト”を更新できれば、いっか。」
という気持ちになり
最後には、
「日々勝負に挑む事に、何の意味があるのか?」
と、疑問を抱きながら練習していて…
最後には“高校受験”を理由に週3~4日の水泳の練習を断念しました。
その頃から
自分の中で“ゴール”を決めて
そこそこ近づいたら、それでOK
とつい思ってしまうクセがついてしまったんだなあ。
未だにそれは、なかなか改善できないなあ。
と感じています。
ここ数年間のオリンピックに出場する競泳選手達は、
個人で出場する種目にもかかわらず、
“チーム・ジャパン”として、
お互いに切磋琢磨している感じが伝わってきます。
引退した選手たちも、惜しみなく後輩たちにアドバイスしているようです。
あとは、
*泳法テクニックの向上
*“技術の高さ”と“レース展開への戦略”を活かせる「長距離種目に出場する選手」が増えたかも
いう印象です。
予選から良い成績を出す日本人選手が増えて、
決勝で気持ちよく泳げる&注目を浴びる“第4コース”付近で泳ぐ選手が増えたのは
TV観戦していても、本当に見応えがあります。
→競泳のコース割りのルールについては、参考までにコチラをご覧ください。
08年北京オリンピックの時、
夕食に北京ダックを食べに行ったお店で
レポーターとして中国に来ていた岩崎恭子選手(平泳ぎメダリスト)と
選手として出場していた北島選手達が
すごく親しげに食事をしていたのを偶然見かけ、
“チームの雰囲気の良さ”をチラッと垣間見ることができました。
その時、時代は変わったなあと思ったものです。
まだまだ大会は始まったばかり。
競泳女子の活躍も期待しています(^_^)。
(つづく)
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