村田です。
私は、外出先で読書をするのが好きです。
家の中だと「あれも、これもやらなきゃ。」と
何だか落ち着かず…。
場所もどこでもいい訳ではなく
マスターや別の客と適度な距離があり
あまり騒がしくなく、静かな音楽が流れていて
できればお茶やお菓子が、美味しい所で。
立ち読みでは
あまり頭に入ってこないけど
“その場所”で読むと、スーッと内容が入ってくる事があります。
いつも“その場所”にある、今月7号のオッジ。
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松浦弥太郎さんのコラム「ちょうどいい時間」。
なんでも早くすることがうれしい時代なんだなあ、とこの頃よく思う。
調べ物はインターネット検索できて。
連絡手段はメールが主になり、料理は時短レシピが人気。
そしてまた飛行機や電車の速度はさらに増している。
それはすべて僕らが忙しいから生まれたニーズによるものだ。
けれど、これから先、「早いことがうれしい」を、当たり前にするのは、
ほんとうによいことなのか、と思ったりもしている。
あなたはどう思いますか?
(中略)
本来、どんなことにも、それなりに要する「ちょうどいい時間」があり、
「ちょうどいい時間」から生まれる、よろこびや楽しさ、クオリティというものを
忙しさを理由に手放してしまってはいけないと僕は思うんだ。絶対に。
最新技術によっていくら可能だとしても、時間をはやめるということに
手をつけるのはそろそろ止めて、あらゆることの「ちょうどいい時間」とは、どのくらいなのか。
そしてそれを取り戻すことを新たに考えることこそが、
これからの未来に必要なことではなかろうか。
前に進むだけが成長ではなく、時には、あと戻りすることも成長のひとつです。
「ちょうどいい時間」は「楽しい時間」。
うれしいよりも楽しいほうが豊かであると、僕は考え直したい。
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私も最近、感じている事。
「忙しさ」を理由に
優先順位がつい乱れてしまったり、物事を乱雑に扱ってしまったり
情報が氾濫することによって
大切なものを見失ったり、他人と比べて落ち込んだり、
少しずつ深めていくべきものを
浅くても、一気に、たくさん、知っているのがいい事になってしまったり…
になっていっているような気がします。
約20年前の中国。
昔ながらの暮らしの生活のリズムや、
古い町並みがまだ残っていました。
中国の人々は「早く発展し、便利な暮らしがしたい。」と躍起になっていた時代でした。
便利な生活に慣れ切っていた私たちは
留学したと同時に、
情報がかなり制限され
お金はなく
暮らしは不自由になったけれど
一人でじっくり考えたり、友人と閑話したりする時間や、
素晴らしい歴史的建造物を間近に観る機会が多くありました。
「なんて、中国人は“豊かな時間”を過ごしているのだろう。」と思ったものです。
その時の感覚がとても懐かしく
そして、松浦弥太郎さんも、同じことを感じていらっしゃるのだな
と、うれしく思った記事でしたので、ご紹介させていただきました。
みなさんは、どう思いますか?
今日もたくさん、道端で見ることができそうです。
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